南八ヶ岳の人気山小屋!赤岳鉱泉
登山者がいつもお世話になっている“山小屋”。私たちにとって、下界から離れた場所で寝食ができる有難い存在ですよね。しかし多くの利用者が訪れる山小屋が、いつ・どうして・どんな経緯でそこにできたかを知っている人は多くありません。
そこで、知られざる“山小屋”の裏側を徹底取材する当企画。第1弾となる今回は、八ヶ岳の主峰・赤岳のふもとにある、赤岳鉱泉です。
赤岳鉱泉はいかにして始まったのか?
―――山小屋取材、めちゃくちゃ楽しみにしてました! 今日はよろしくお願いします。
はるばる来て頂いてどうも有難うございます。わかる限りで何とか、頑張ってお答えします。(笑)
―――では早速…「小屋の起こり」からお伺いしていきたいのですが。まずは赤岳鉱泉の始まりについて聞かせてください。
はい。もとは営林署の飯場だったところを、私の曽祖父母(柳沢米作︎氏、カウエ︎氏)が譲り受けたのが始まりです。そこで働く人たちの食事の面倒を見ていたご縁で「あとは好きなように使っていい」と言われたそうで。場所も実は今のところではなくて、もう少し麓の方にあったんですよ。
―――なんと! 今の場所ではなかったんですね?!
そうなんです。具体的には北沢のちょうど中間、双子橋あたりを峰の松目沢側に5本目の橋から100mほど上に登ったあたりでしょうか。
―――知らなかった……。山小屋開業を思いついたということは、南八ヶ岳は当時から登山需要のあるエリアだったのでしょうか?
そう聞いています。会社の山岳部等で訪れる人が多かったようで、赤岳山荘のおじちゃん、おばちゃんにも手伝ってもらいながら小屋番をしていたそうです。